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2008.05.01 (Thu)

長嶋の名言

”チャレンジして失敗を恐れるよりも、何もしないことを恐れろ。” これは本田技研創業者 本田宗一郎の言葉である。 何時の時代でもこの言葉には胸が打たれ、さすがである。

しかしである、この言葉と同じ内容が長嶋の口からも出ているのである。

失敗は成功のマザー”

「失敗を恐れるな」と、長島は巨人軍の監督に就任して、失敗を恐れず挑戦することの大切さを選手達に伝えている。
まずやってみないことには何も生まれない、失敗を積み重ねてこそ成功が生まれるのだということは、野球だけではないのでしょう。

”秋には必ず『メークドラマ』しますよ”

95年7月27日 首位・広島に7.5ゲーム差つけられ、後半戦の逆転を誓って発した言葉である。
長嶋は良く”英語”を使用した言葉を出すのだが、このメークドラマの使い方は非常に面白く、正に長嶋でしか言えない言葉であろう。
なお、これと同じように、”アイム失礼” ⇒ アイムソーリー とも言っている。
では、長嶋は英語に強かった(流暢)のだろうか? 

I live in Edo(江戸)”

立教大生時代「“I live in Tokyo.”の過去形は?」と教授に質問され、長嶋はこう返したのである。
やはり・・・・・、長嶋である。 笑えるのだが、ある意味尊敬に値する一言である。野球以外は目もくれずガムシャラに前へ前へ突き進む長嶋だからこそ”Edo”なのであろう。

では、長嶋の打撃理論は如何なのであろうか?

”「ビューと来たらバーンだ」”

現在の巨人軍監督原への打撃指導の際に発した長嶋の打撃論である。
凄い!一言である。 プロとして野球をやる以上誰もが血と汗と涙を流しあがってきたプロの世界であり、原は東海相模高、東海大とエリートの階段を父と共に上がってきた男に発した言葉。

”危なかったですね。ぎょくですよ、「ぎょく」。当たっていたら「ぎょく」が粉々ですよ。”

急所に投手が投げたボールが直撃しそうになった際に発した長嶋の一言。
確かに読み方としては、”ぎょく”と読むのだが・・・・更に最後の”粉々”の使い方が素晴らしい。ぎょくが粉々になったらとんでもなく、ましてデットボールで粉々に。

そしてやはり長嶋の最高の名言は

”我が巨人軍は永久に不滅です。”

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2008.04.30 (Wed)

入団1年目の長嶋

以下に興味深いデーターを整理した。プロ野球には毎年数多くの新人選手が入団してくるが、その中で成功する者はごく僅かである。では、長嶋の1年目である1958年は?そしてその後に現れた天才バッター達の入団1年目はどの様であったのだろうか。

選手名     試合  安打  本塁打  打点  盗塁  打率
 長嶋   :  130  153    29     92   37   .305 
 王     :   94   31    7     25    3   .161 
 野村   :    9    0    0      0    1   .000 
 イチロー :   40   24    0      5    3   .253 
 金本   :    5    0    0      0    0   .000 
 田淵   :  117   81   22     56    1   .226 
 落合   :   36   15    2      7    1   .234 
 原     :  125  126   22     67    6   .268 
 清原   :  126  123   31     78    6   .304 

王・野村・落合は言わずと知れた”三冠王”のバッターであり、イチローは日本ではなく世界のバッターである。鳴り物入りで入団した原や田淵も1年目の打率は3割以下であり、唯一清原の1年目が、3割30本をクリアーしている。社会人や大学・高校で揉まれて入団した原石が光り輝く為にはある程度の時間が必要な事はこの大選手たちの一年目からわかる。
その中で、長嶋の1年目は、なんとセリーグで本塁打王と打点王の2冠を取っているのである。(打率は第2位)更に興味深いことに盗塁では1年目に37個も成功させているのである。当然130試合全てにサード長嶋で出場しており、打って良し! 守って良し! そして走って良し!の全てが備わっていたのである。その長嶋の記念すべきプロ野球第一試合、 対国鉄 対金田であった。

前年28勝の金田が立ち塞がったのである。
開幕戦第一打席、二人三振の後の打席では初球は内角の剛速球を空振り。二球三球とカーブがきて、四球目も内角に快速球が来て空振り三振。第二、第三、第四打席も剛速球で空振り三振に取られた。 長嶋の打席では計十九球で、直球10球・カーブ9球。 長嶋は全て空振りの三振であった。

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2008.04.29 (Tue)

天覧試合の長嶋

とにかくこの長嶋は、めっぽう天覧試合に強い男であった。既に前述の通り、記録面では王や野村にも及ばないのであるが。長嶋の天覧試合は計10試合であり、その合計打撃成績は

    35打数 18安打 7本塁打 10打点 打率.514

これは驚異的と言わざるを得ない数字である。特に打率に関しては.500以上なのである。
以下に長嶋の全10試合の天覧試合の打撃数字を記す。

年月日 対戦相手 球場 スコア ご観戦皇族 打数 安打 本塁打 打点 打率
S34.0625 阪神 後楽園 5-4 昭和天皇・皇太后両陛下 4 3 2 2 .750
S34.07.12 国鉄 後楽園 6-3 常陸宮(当時義宮)、島津貴子(当時清宮)様 3 1 0 0 .333
S38.05.04 国鉄 後楽園 3-8 天皇(当時皇太子)陛下 4 2 0 0 .500
S40.06.01 阪神 後楽園 2-1 常陸宮様ご夫妻 3 1 0 1 .333
S41.11.06 ドジャース  後楽園 11-3 昭和天皇、皇太后両陛下 4 3 1 1 .750
S43.09.15 中日 後楽園 7-10 皇太子(浩宮)殿下 2 1 1 1 .500
S44.07.19 全パ 東京 6-7 皇太子(浩宮)殿下 3 1 0 0 .333
S45.10.31 ロッテ 東京 5-3 皇太子(浩宮)殿下 4 3 2 3 .750
S46.07.20 全パ 後楽園 2-3 皇太子(浩宮)殿下 4 2 1 2 .500
S46.10.16 阪急 後楽園 7-4 皇太子(浩宮)殿下 4 1 0 0 .250

”チャンスに強いバッター”と言う選手もいるが、長嶋はチャンスだけでなく何か謎を持つ男である。
プロ野球史上初めての天覧試合が行なわれた昭和34年・・・ 長嶋のメイクドラマが始まったのである。

1959年6月25日、後楽園球場で巨人対阪神の伝統の一戦が天覧試合として催された。
昭和天皇・香淳皇后が後楽園球場のバックネット裏貴賓席に来場し、19時より試合が開かれた。
試合は巨人が藤田元司、阪神が小山正明の両エースの先発で始まった。両チームとも点の取り合いとなり、3回表・阪神が小山自らのタイムリーヒットで先制点を挙げる。その後5回裏・巨人が長嶋茂雄と坂崎一彦の連続ホームランで逆転すると、6回表・三宅秀史のタイムリーヒットと藤本勝巳の逆転ホームランで3-4とする。7回裏・巨人は王貞治のホームランですかさず同点に追いつき、阪神は村山実をマウンドに送る。同点のまま9回に入ったが、天皇・皇后が野球観戦できるのは午後9時15分までであったため、延長戦に突入した場合は天皇陛下は試合結果を見届けられず、途中退席になる可能性があった。

しかし、午後9時12分、9回裏、先頭バッターの長嶋がレフトポールぎりぎりに入るサヨナラホームランで接戦に終止符を打った。天皇・皇后は試合結果を見届けた上で、球場を後にした。

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2008.04.28 (Mon)

長嶋の謎

戦後日本プロ野球に革命をもたらした男---”長嶋茂雄”。
「記録の王、記憶の長嶋」と言われる所以は何処にあるのだろうか? アンチ巨人ファンの中にも長嶋なら許せると言う人も多く、その長嶋の魅力は、長嶋語録と共に謎である。

長嶋の現役生活は17年間である。その17年間を王(現役生活22年)との比較で見てみる。

生涯打率  長嶋:305 (王:310) ⇒ 王
首位打者  長嶋:6回 (王:5回) ⇒ 長嶋
本塁打王  長嶋:2回 (王:15回) ⇒ 王
打点王    長嶋:5回 (王:13回) ⇒ 王
生涯本塁打 長嶋:444本 (王:868本) ⇒ 王
最高殊勲賞 長嶋:5回 (王:9回) ⇒ 王
ゴールデングラブ 長嶋:2回 (王:9回) ⇒ 王

ご覧の通り、首位打者の数が1回だけ王よりも上回るがそれ以外では全て王に及ばないのである。

次に具体的な数字を比較してみたい。(金本・イチローは2007年までの数字)

       長嶋    王    野村   金本   イチロー
安打数:  2471  2786  2901  1987  2870
二塁打:   418   422   397   331   388
三塁打:    74    25    23    33    80
本塁打:   444   868   657   394   185
打点数:  1522  2170  1988  1216   956 
盗塁数:   190    84   117   152   471 
三振数:   729  1319  1478  1309   794
併殺数:   257   159   378    71    93

各々現役年数は、長嶋17年・王22年・野村27年・金本16年現在・イチロー16年現在。

長嶋は王どころか野村の安打数・本塁打数・打点数よりも下なのである。確かに野村の現役生活は27年と長嶋よりも10年も長い理由はあるのだが。ただ一つ不思議な事に三塁打数が王や野村の三倍ちかくあり、盗塁数も王の倍以上である。

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長嶋の謎に付いては、又次回に続けたい。しかしそのヒントは以下である。

”1959年6月25日、後楽園球場で行われた対阪神戦は、日本プロ野球史上初の天覧試合(天皇が観戦した試合、当時は昭和天皇)であった。長嶋は4対4で迎えた9回裏、阪神の2番手村山実投手からサヨナラホームランを放った。この試合では新人王貞治も本塁打を打っている。これは106回あったONアベックホームランの第1号である。”


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